平安時代 平安京左京五条三坊  四条と五条の間 西洞院と東洞院の間

平安京左京五条三坊六町  仏光寺—高辻 室町—新町    

江戸時代 室町通り高辻上る山王町

 


西



三坊






 

 

四条大路

五条

 1

 

 8

 

 

 

16

 

 

 

 

綾小路

 2

 

10

15

 

 

 

 

五条坊門小路

 3

 6

11

14

 

 

 

 

高辻小路

 

 

12

13

 

 

五条大路














 


街路によって区切られた40丈(約120m)四方の一区画を「町」という。
町の数え方は以下の通りである。

http://www.mutsunohana.net/miyako/cho.gif

こうして、平安京の住所は、
(左または右)京/(一〜九)条または北辺/(一〜四)坊/(一〜十六)町
と表す。

 

 

 

 

 

 

 

 

野尻小路 − 新町通り 烏丸小路―烏丸通り 五条坊門小路―仏光寺通り 五条大路―松原通り

 

 

平安京左京五条三坊五町跡・ 烏丸綾小路遺跡調査では弥生時代末から古墳時代初めの遺構、平安時代後期から室町時代の遺構、桃山時代から江戸時代の遺構を検出し、各遺構面の写真撮影、図面類を作製、5月 26 日までに下層遺構の確認などの補足調査を実施して、調査を終了した。調査面積は約 210 uを測った。

 

烏丸綾小路遺跡は、四条烏丸周辺とその南西部に広がる弥生時代から古墳時代初めにかけての遺跡であるが、鴨川西岸一帯の旧河川に沿った地区には平安京造営以前の遺跡が数多く展開する。

烏丸綾小路遺跡の北、烏丸通と御池通交差点一帯には弥生時代から古墳時代の烏丸御池遺跡、その北方の烏丸丸太町周辺と京都御苑南部一帯には縄文時代晩期から弥生時代後期、古墳時代後期から飛鳥時代の烏丸丸太町遺跡、烏丸中立売とその西側には弥生時代の遺物包含層が確認された内膳町遺跡がある

平安京が造営されると、調査地の元成徳中学校敷地は左京五条三坊五町地となる。

五町地の北西、二町、三町地は菅原道真の邸宅である紅梅殿、白梅殿として有名であり、特に白梅殿は道真の誕生地と伝承される。現在それぞれに菅大臣天満宮、菅大臣神社が鎮座する。調査地の北側、六町地には繁昌社があり、針才女や班女祠の由来を伝承する小祠を残す。調査地の南東には玉津嶋神社、北西の十一町には日吉神社、十四町には八坂神社御旅所である祇園大政所、十五町には稲荷大明神などの古社がある。五条三坊地を中心にした四条東洞院から西洞院松原のかけての一帯には古社、小祠が多く、祇園祭に 10 基もの山鉾を出すなど祭儀を執りしきる主要地区でもある。多くの神社、祭神、祭礼が前代の治績を顕彰し、これを後世に伝えたものと考えるなら、下層一帯に展

開する弥生時代から古墳時代初めにかけての集落跡である烏丸綾小路遺跡の消長を反映した可能

性があり、無縁のものとすべきではなかろう。

 

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平安京左京五条三坊十六町跡 (四条東洞院下がる)

平安時代から室町時代の遺構(主に室町時代)

井戸、柱穴、土杭、礎石柱列、溝等が見つかっている